こんにちは! 主婦ブロガーのミホコです。
子供たちが小学生になり、子育てもひと段落したところです。
自分の時間ができたことで、少し心の余裕ができました。それと同時に、ちょっぴり焦りも感じるようになりました。
今までと同じように生活をしているはずなのに、なんとなく夫からの態度が冷たかったり、子供に厳しくするシーンが増えたように感じたのです。
家族の誰か一人だけが頑張っていて(夫)誰かが楽しそうにしていると(私)「自分(夫)だけが頑張らなきゃいけないなんて、ずるい」と思うのも無理はありません。
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完全に私の心の声。
そうなんですよ。今までどれだけ大変な思いをして育児をしてきたか。
仕事も辞め社会から取り残され、自由もなく自分を犠牲にして今まで頑張ってきて、やっと手に入れた自分の時間。
子供たちが小学校に行っている間のわずかな時間を、自分の時間としても罰は当たりませんよ。
やっとできた自由時間に、買い物に行ったり(と言ってもスーパー)、ブログを書いたり、、
しかし、それは自分のお金があればの話です。
家族の中で稼ぎ頭が1人だと、家族の誰かが(私)お金を使っているとイラっとするんでしょうね。
家族のお金のことや、家族が楽しく暮らすためにどうしていけばよいかなど、冷静になって考えていきたいと思います。
こんな方におすすめ
- 夫にイライラする奥様
- 自由な人を見てイライラする人
自分以外の誰かが得をしていると、なんだか自分は損をしているように思いませんか?
家族の誰かが楽をしていて、自分ばかりが大変な思いをしていると「なんで自分ばかりがこんなに頑張らなきゃいけないの?」と思うことはよくあることだと思います。
私自身も、子育てをしているときは、横でゆっくりとくつろいでいる夫を見てはイライラしていました。
「自分ばかりが大変な思いをしている」と感じていたのです。
誰かが得をすると、自分は損をしている?
日本人は「誰かが得をしていると、自分が損をしている」と思うのだそう。
それこそが日本特有の価値観で、何かを得るためには何かを我慢しなければならない、といった考え方からきているようです。
それなのに、たいして頑張ってもいないあいつが得するなんて、許せない。キー
となる気持ち、、なんとなく分かります。
しかし、諸外国の人はそうなりにくいというのです。
「ヘイ!みんなでハッピーになりましょー」となる。みんなでハッピーに!という感覚、日本人にはあまりないように感じませんか?
「あの子ばっかり、ずるい~」と思う気持ちの原理
子供のお友達で、こういう子がいました。
誰かが自分よりも良いことが起こると、すぐに「ずるい~」と大きな声で叫ぶのです。
自分よりも良いものを持っているとか、自分よりも楽しそうとか、自分よりも大事にされてるとか。
そのように判断すると、途端に相手を攻撃する態度をとるのです。
その子は決して何も持っていないというわけではなく、むしろ一人っ子なのでお母さんだってお父さんだって独り占めできているはず。
それなのに、他の子のことを羨んでばかりいました。
それがどうも気になり、なぜその子が「ずるい」と感じるのか考えてみたのです。
自分が損をしているようで「ずるい」と感じる。
しかし実際には、誰かが得をしていても自分が損をしているわけではありません。
でも、どうして自分が損をすると思ってしまうのでしょうか。
「あの人ばかりが楽しそう」
「あいつばかりがいつも得してる」
「自分はこんなに頑張っているのに、、」
こんなに頑張っているのに、自分はちっとも楽しくない。
それなのに、たいして頑張ってもいない人が楽しそうにしているだけで腹が立つでしょうね。
しかし、楽しいという感情は人それぞれなので、その人にとって楽しいと思うことが他の人にとって楽しいかは分かりませんよね。
そこで「楽しい」と思う感情を「お金」に変えてみると分かりやすいということが分かりました。
あの子ばかりお金をもらってずるい、とか、あの子は簡単にお金が手に入ってずるい、というように言い換えると、なんとなくずるいと思う気持ちが理解できます。
日本人は、お金は「苦労して得るもの」と思い込んでいる人が多いです。
努力の末に手に入れるものだから、楽してお金をもらったり楽しいことでお金を得るなんてありえないと思っています。
誰かが得をすると、誰かが損をする
だからお金持ちは、誰かのお金を奪っている悪い人というイメージです。
その子は、誰かが楽しそうにしていると、自分の楽しいという気持ちが奪われると思うのでしょうか。
自分が頑張って努力していても認められず満たされていないと、他人の幸せを喜ぶことはできませんよね。
頑張りすぎていないか。
頑張らなきゃいけないと思っているか。
頑張らないと楽しんではいけないと思い込んでいないか。
頑張らないと報酬が得られないと思っていると、頑張っていない人に対して「ずるい」という気持ちが湧いてくるのかなと思いました。
満たされている人なんているのだろうか。
子供は感情を素直に表しますから分かりやすいのですが、大人だってほとんどの人は自分が損をすることには敏感ではありませんか?
自分の頑張りが認められていないように感じると「こんなに頑張っているのに」と思ってしまっても無理はありません。
どんなに頑張っても、仕事では理不尽なことを言われることも多い。平気で部下のせいにする上司なんかたっくさんいます。
子育ては、頑張っても頑張っても「それが当たり前」。
みんな実はギリギリで頑張っているのに、誰かが楽しそうにしていると「自分ばっかり辛い思いをしている」と思ってしまいます。
ですが、自分よりも大変そうな人を見ると、なんとなくホッとしませんか?
それこそが「努力・忍耐・根性」が正義だった昭和の考え方です。
「努力・忍耐・根性」が正義だと、日本の社会では有利になります。
個性を出さずに、社会のために懸命に働く人を量産することで、日本の経済は急激に発達してきたのだと思います。
私は「努力・忍耐・根性」は、必要な時もあると思っています。
しかし目的を間違えてしまうと、結局どれだけ「努力・忍耐・根性」で頑張っていても、自分が満たされることはないのかなと思います。
頑張らないと報酬は得られない?
自分が満たされてる時に目の前の人が楽しそうにしていると、自分も幸せな気持ちになります。
しかし反対に、苦しくてもう頑張れないのにそれでも頑張らなきゃいけない状況にある時、その横で誰かが楽しそうにしていると、イラっとしますよね。
頑張るということを自分で選んでいる場合は、周りが楽しくしていてもあまり気にはなりません。
しかし、頑張ることを強要され、そこから逃れられないという状況では、もはや不満しかありません。
楽しく生きている人を見ると、イラっとする人
そもそもですが、頑張ることを強要されて満たされることはあるのでしょうか。
「何のために頑張っているのか」というところが抜けていると、どんなに頑張っても満たされることはないように思います。
自分に厳しい人は、他人に厳しい?
それは、自分が辛い目に合っているのだから、他の人も苦しい思いをするべきだと思っているだけです。
会社など、チームで頑張らなければならない場面もありますよね。
チームで一つのことを達成させるには、誰か一人が頑張ってもなかなか上手くはいきません。
このような場合、一致団結するために必要なことは、それぞれの価値観を共有することです。
チームで頑張らなければいけないときに、価値観がバラバラだから上手くいかない。
そもそもみんな全く違う価値観を持っているのだから、上手くいかないのは当たり前の話なんですよね。
その中で「努力・忍耐・根性」が正しいと思い込んでいる人がいると、本当にうまくいきません。
なぜかというと「努力・忍耐・根性」とは真逆のところにあるのが「楽しく・楽に」だからです。
平等を求めすぎると、許せなくなる
誰もが平等に素晴らしい。子供であっても一人の人として認めることは大事です。
しかし「平等」という部分ばかりが暴走し、少しでも自分が損をすることが許せないと思う子が増えているのかも。
私も「自分ばかりが損をしている」と思い込んでいた時期がありました。
冒頭にも書きましたが、それは「育児をしていた時期」です。
育児中は、今まで当たり前にできていたことがことごとくできなくなり、自分でもかなりやさぐれていたなと思います、笑
一人でトイレに行くことすら許されないような環境にさらされると、もうストレスの塊みたいになってましたね。
誰かがトイレに行くのを見ているだけでも「ずるい」と思っていましたし、食事も一人でゆったりできてる人を見るだけでイライラしていました。
自分が何かを制限されていると、自由な人を見て「ずるい」と思う。
みんな平等なはずなのに、なんで自分ばかりが大変な思いをしなきゃいけないの?となってしまうのです。
これは、立場が逆転して気づいたことでした。どのような立場にいても、何かしらの制限の中で生きています。
立場が違えば制限されることも変わってきますが、どうも他人の方が楽をしているように見えてしまうんですよね。
特に、自分の人生に制限を設けずに自由に過ごしている人を見ると、心がざわざわしませんか?
「楽してるのに、自分よりも楽しそうでずるい」となっていませんか?
この「ずるい」の暴走を止めるには、反対の立場を経験するしかないのかもしれませんね。
私も、誰かに「ずるい」と思われたときに、はじめて相手の気持ちが分かったからです。
みんなそれぞれの立場を守るために、必死で頑張っています。時にはそれがプレッシャーとなって苦しく感じることも。
しかし、そこで頑張ることができるのは自分しかいないんですよね。
必死で頑張っているという気持ちをただ理解してもらえるだけで、「ずるい」という気持ちが消化されるかもしれません。
【まとめ】「ずるい」と思う気持ちの奥にあるもの
この記事を書くきっかけとなったのが、子供のお友達の口癖でした。
何かを制限されているようにも見えず、伸び伸びと育てられているように見えていたその子が、娘と2人の時に意地悪なことを言ってくるのです。
「○○ちゃんだけ、ずるい!」と、何かにつけて言ってくるので、どうしたもんかな~と思っていました。
自分よりも得をしてないか、ずるをしていないか、いつも見張っているのです。
これでは一番苦しい思いをしているのは紛れもなく「その子」なんですよね。
その子をがんじがらめにしている考え方こそが「平等」なのかなと思ったのですが、性格も関係しているのかもしれませんし、環境も大いに影響していると思います。
コロナ渦で「○○警察」というのが注目を集めています。誰かがルールを破っているのを見ると無性に腹が立つというのは「自分は我慢しているのに」という気持ちの表れではないでしょうか。
もし「誰かがずるい」と思う気持ちに支配されていたら、頑張りすぎているのかもしれませんね。