こんにちは! オタク主婦のミホコです。
ここにきて、子供たちの周りでも問題が出始めていて、親としては心穏やかではない状態が続いていました。
やっぱり大人でも子供でも、「すべての悩みは対人関係」だと言われているように、大人も子供も「誰かから理不尽な扱いをされた」だの「言われた」だのの繰り返しな感じもしています。
こんな時、家に引きこもれるオタク主婦でよかったなあって思います。
子育てをしていると、理不尽なことだらけですよ。だけど、その度にいちいち落ち込んでいたら身が持ちません。
それなのに子供の分だけ悩みも増えますからね。
家にいる時間を増やして、回復しないとやってられません。
自分が正しいと思っていても、みんなが賛同してくれるわけもないし、、ましてや全く悩みのない人なんていませんからね。
対人関係で悩みを抱えている人は、ぜひ良書を読むことをお勧めします。
悩んでいるときこそ、良書を読んでみよう
子供のお友達関係で悩み、読み始めた「嫌われる勇気」
先日、子供のお友達関係で様々なことが起こりました。
我が家は、小学4年の男の子と小学1年の女の子の兄妹なのですが、同時多発的に問題が勃発し、悩みの種となっていました。
こんな同時に色々と揉め事が起こる??
でも、もしかしたら、コロナ禍で子供達も大人も不安を抱えているのが原因かもしれません。
漠然とした不安って人に多大な影響を及ぼすんだな、と思いつつ、それが原因だとしてもストレスのはけ口にされるのは納得がいきませんっ!
コロナストレスも含め、個々が抱える感情は個々の問題であるから、他人が踏み入れる問題ではないという考えこそが「嫌われる勇気」だと、この本には著しています。
嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え [ 岸見一郎 ] 価格:1,650円 |
「嫌われたくない」と願うのは自分の課題だけれども
「自分のことを嫌うかどうか」は他者の課題
アルフレッド・アドラー
誰もが嫌われたくはないと思いながら生きているという中で、アルフレッド・アドラーはこんなことを堂々と言っているのです。
確かに、人から嫌われないようにと努力しても上手くいかないことなんてあるし、そんなつもりじゃなかったのに結局嫌われてしまった、っていうことは誰にでも経験があると思います。
ましてや学校は大人数の子供たちが集う場所です。みんながみんな仲良しこよしって訳にはいきませんよね。
だからこそ自分の課題と他者の課題を分けて考える必要があるんです。
ポイント
それを「課題の分離」と言うのだそう、、
あの人が自分を嫌っているかもしれない、、あの人に良く思われたい、、
子供の将来に不安を感じる、、どうしてあの人はちゃんとしないのか、、
それらはすべて「他人の課題」であり「自分の課題」ではありません。
とはいえ、そんな簡単に線引きできるものではありませんよね。そこには「自分をより良く見てもらいたい」という承認欲求が潜んでいるからです。
今悩んでいるからこそ染み入る言葉がある
「自分の考えは、間違っているのだろうか。」
こう思いはじめると、自分の中にある軸がブレていきます。自分に自信が持てなくなり、自分が間違っているのかも、、と不安になっていくのです。
そんな時に私が大事にしているものがあります。
自分が不快と思う感覚を大事にする
正しいとか正しくないというようなジャッジをする前に、自分が「なんとなく嫌だ」という感覚は、自分の本当の気持ちなんですよね。
自分が感じている「なんとなく嫌だ」という気持ちに蓋をすれば、もしかしたら周りの全ての人たちと上手くいくかもしれません。
しかし、自分に噓をつき続けることになります。
自分に噓をつき続けていると、身体に症状が出ます。
そんな時にアドラーはこのように言っています。
「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない
アルフレッド・アドラー
アドラーはそのような生き方を「人生の噓」と表現しています。
私たちは、誰かの期待に応えるために生きているわけではありません。それなのに、他人に評価されない自分は価値のない人間なのだと決めつけてしまうのです。
他人の評価ばかり気にしていると、最終的に他者の人生を生きることになってしまうんだと。
自分が「誰かの期待を満たすために生きているのではない」としたら、他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているではない」ということを肝に銘じておく必要があります。
対人関係で悩む機会がないと、自分が何のために生きているかなんて考えもしないと思います。
だから、悩みの渦中にあるときこそ学ぶチャンスでもあるのです。
すべての悩みは「対人関係」である
嫌われる勇気を持てるか?
そうは分かっていても、人は誰かに承認してもらいたい生き物ですし、ましてや嫌われたくはないと思っているのでは?
学校で嫌われる=いじめられる、みたいな不安もあったりするからです。
しかしアドラーがいう「嫌われる勇気」というのは、嫌われるために行動するということではなく、自分の思うとおりに生きる勇気を持つということなんです。
自分の意見を言うと、ある一定の人からは受け入れられないかも知れない。
それでも自分の意見を貫こうということです。
どんなに頑張っても、ある一定の人からは受け入れられないものだから
それなのに、すべての人から好かれようと頑張りすぎた結果、自分に噓をついて生きている人のなんと多いことか!
しかし残念なことに「どんなに頑張ってもすべての人から好かれることはありえない」のです。
それは、みんな「自分が一番になりたい」と思っているからです!
人間である以上「対人関係」はなくならない
みんなが「自分が一番」になりたいと思っていても、一番って一人だけですよね?
そこで何が起こるのかというと、一番の人を引きずり落とそうという人が出てくるということ。
こういう感情の部分って、子供を見ていると顕著ですよ。子どもは素直なので、嫉妬心なども平気でぶつけてきます。
しかし、そういった自分の中に沸き起こるマイナスな感情を経験して、成長していくものだとも思っています。
人間である以上「誰かよりも秀でたいと思うもの」
ってことは、この世の中にたった一人なら、誰かと比較する必要もないですよね。
だけどそんなことが不可能だから、人は悩むのかなとも思うのです。
そして、もしこの世に一人なら、一番になろうなんて考えもしないと思います。人は人として生きていくからこそ悩みが生まれるんですよね。
そう考えると悩みそのものが「人として生きている証」のようなもの。簡単に答えが出ないからこそ人は学ぼうとするのではないかと。
もしかしたら一生をかけて学ぶものかもしれませんし、悩みを抱えることで人は成長をしていくのだと思うのです。
まとめ、「嫌われる勇気」で心が軽くなる
子供たちの対人関係の問題で、私もまた学びを深めることができました。しかし一人ではどうしたら良いか分からず悶々としていたでしょうし、モヤモヤが続いて学ぶところではなかったと思います。
その時に読んだ「嫌われる勇気」。このタイミングでこの本と出会えたことは本当にラッキーだと思いました。
人に嫌われるのって勇気がいることですよね。
誰からも嫌われずに誰が見ても立派な行動をとり、誰が見ても素晴らしい生き方をしたいと思うのは、一見素敵な生き方のように思います。
しかし、それは誰のための行動なのでしょうか。
相手に気に入られるような行動をとることで、自分に嘘をつくことにはなっていませんか?
自分に正直に生きていくことで、本当の信頼関係を築くことができるのだと思います。