子育て 子育てマインド

【自己肯定感が低くなる要因】自己肯定感は高めなくていい本当の理由

こんにちは! 主婦ブロガーのミホコです。

子育てをするようになって、子供の自己肯定感について学ぶようになりました。

自己肯定感とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉。

ウィキペディア(Wikipedia)より

 

子供同士の関わり合いを見ていて、自分の幼少期を思い出すきっかけがありました。

人って、みんな違ってみんないいとは言いますが、実際のところはどうでしょうか?

きっと「自分だけが正しい」と思い込んでいる子も一定数いるのでは?

 

自分の思い通りにならなと気が済まない子がいたり、他の子がちょっとでもルールを守れていないと許せない子。

他人の「違う部分」を受け入れられない子は、自分が正しいのだから自分が一番でなければならないといけないのに、他の子が人気があったり良い思いをしていると許せない、という感情が起こり、いつも腹を立てています。

 

それはそれで穏やかではないですよね。自分以外の、自分ではコントロールできない部分にまで目を見張り、イライラしていてはストレスを溜めているのですから。

 

自己を肯定するということは「自分と、自分を取り巻く全てのものを認める力」なのではないか

 

自己肯定感とは、自分の価値を肯定することですが、捉え方を間違えてしまうと自分自身も苦しくなるし、周りの人にも嫌な思いをさせてしまうことになります。

 

自分が正しいと思っている子は、他の子の「違う部分」をどうやって受け入れられるようになるのでしょうか。

 

こんな方におすすめ

  • 子どもたちの自己肯定感を高めたいと思っている方
  • 自分自身の自己肯定感を高めたいと思う方

 

私自身も幼少期は自己肯定感が低い子供でした。

その原因として思い浮かぶのは、周りの人たちと比較して自分が劣っているという経験からです

 

きっかけは些細なものです。花いちもんめで選ばれなかったとか、いつも一緒にいるお友達が、他のお友達と一緒にいる方が楽しそうだとか。

こういった経験は誰でもあるものだと思います。

 

しかし、集団生活の中であっても一人きりになる場面はありますし、自己主張が苦手な子は、あまり目立たないので一人でいても気づかれないこともあります。

 

正義の塊のような子に自分のミスを指摘されたことで、自信を失うことだってあります。

 

子どもたちには、他人からの評価で自分の価値を決めるのではなく、自分の価値は自分で決めてほしい。

しかし幼少期に起きた出来事がきっかけで自分の価値を自分で決めつけてしまい、自己肯定感を低くしてしまっている?という謎の疑問が湧いてきたので、考えをまとめていきたいなと思いました。

 

自己肯定感が低くなる要因

人間はどうしても人と比べる生き物ですから、そもそも自己肯定感が高い人なんていないのでは?

特に現代では、インターネットも普及していますから、他人の言動が嫌でも目に飛び込んできます。誰かと比較するということがこれほど簡単にできてしまうわけですから、比べるなというほうが無理な話です。

 

他の人のきらびやかな生活を羨ましく思ったり、それと比較して自分を低く見てしまうのは、人間ならば致し方ないのかもしれませんね。

 

だからこそ、自己肯定感が低くなってしまうメカニズムを知り、うまく付き合っていきながら、本当の意味での自己肯定感と向き合っていけたらと思います。

 

誰かの役に立ちたいと思う幼少期

よくあるのが「マズローの法則」です。人間の欲求には大まかに5段階の階層に分かれているという心理学理論です。

子供たちを見ていると、心理的な欲求がマズローの法則に従って見事に表現されています。

 

現代の日本では、ほとんどの子が食べ物には困らず、安全な場所も確保されていますよね。すると今度は次の段階の欲求がはじまります。

 

社会的欲求とは

自分を受け入れてくれる他者を求める。社会集団に属して安心感を得たい、という欲求

子供たちが学校で集団生活をするのは、この欲求を満たすための訓練なのかも、と思うようになりました。

 

誰かの役に立ててると感じるとき、自分の存在価値は高まります。感謝されると、自分を受け入れてくれていると思えるからです。

「誰かの役に立ちたい」という欲求が、集団の中で「自分を受け入れてくれる他者を求めるゆえの行動」だとしたら、誰かの役に立てていないと感じたときは、その欲求は満たされません。

 

中には、誰かの役に立ちたい気持ちが満たされないと、お節介になってしまう子も。世話焼きの子は、誰かの役に立つことで欲求が満たされることを知っているのでしょう。

 

承認欲求とは

自分の能力を高く評価されたいという欲求

集団の中で安心感を得られたとしても、今度はその中で「自分の能力を高く評価されたい」といった欲求が出てきます。

 

それが「承認欲求」です。誰かに認められたい、褒められたい。子供ならお母さんに褒められたいといった欲求は誰でも持っているものです。そしてここはなかなか満たされない部分でもあります。

 

それこそが、子供の自己肯定感と繋がる部分です。

自己を否定していると、どんなに褒められても、その言葉を跳ね返してしまいます。

評価を受け取れるかどうかは、その人本人が決めるからです。

 

なぜ、存在しているだけで価値が生まれるのか?

誰かの役に立ちたい人と、自分にできないことがあったら誰かを頼れる人。

これらは需要と供給のバランスが保たれて、はじめて成立するものと思っています。

 

人は、誰かに頼られたり誰かのためになっている時に最も自分の価値が高まるので、何でもできる完璧な人というのは、一見素晴らしいように見えますが、誰かを喜ばすチャンスが少ないのです。

 

このように考えると、できないことがあるというのは誰かの価値を高めるチャンスを持っているということになります。

 

「誰かの役に立ちたい」という欲求は、集団の中で「自分を受け入れてくれる他者を求める行動」です。

誰かの役に立つことが自分の価値を高めるのだとしたら、自分よりもできない人が必要なのです。

 

なんでも完璧にできる自分を目指してしまいますが、何でもできる人ばかりだとどうでしょう?

自分の存在価値を感じられないと、相手の「できていないところ」を探すようになるかもしれません。

 

ちょっとややこしいのですが、できないという部分があることで誰かの役に立つという仕組みがお判りいただけましたでしょうか。

とすると、子供がお手伝いをしたがったり認められたいと思うのは当然のことなのですね。お母さんの役に立てた、という経験が自己肯定感を高めます。

もしかしたら、お母さんが完璧ではない方が、子供の「誰かの役に立ちたいという欲求」が満たされるかもしれませんね。

 

子供の世話をしていると、つい子供をコントロールしようとします。子供を思い通りに動かしたくて「褒めて」動かそうとする場合もあります。

しかし、子供は「お母さんの役に立つ自分」になれたときに承認欲求が満たされるというわけです。

 

お母さんが「手伝って」とヘルプを出して喜ばない子供はいません。子供はいつだって、お母さんの役に立ちたいと思っているからです。

家族という集団生活のなかで、それぞれの「承認欲求」を上手に満たせていると、自分の価値を自分で感じられるようになり自己肯定感が高まっていくのだと思います。

 

人間が持つ「欲求」は、人と人との関わりの中で満たされていくんですね。

 

過去にも自己肯定感についての記事を書いていますので、こちらも併せてお読みください。

【子どもの自己肯定感を育む】本物の自己肯定感とは?

続きを見る

 

自己肯定感なんて高めなくていい

自己肯定感は高い方が良いと、誰しも思っていることだと思います。

しかし実際には、ほとんどの人が「自己肯定感は低い」のではないでしょうか。

だから、今の自分を変えようとしたり、よく見せようと努力したり。

きっと世の中の人が自己肯定感が高い人で溢れかえったら、努力をしたり着飾ろうとはしないでしょう。

 

中には、努力することを諦めたという人もいるかもしれませんが、そのままの自分でいいと心から思っていたら、何か新しいものを足そうとはあまり考えないと思うのです。

 

自分の価値を知るだけでいい

そもそも自己肯定感を無理やり高めようとしている時点で、自分の感情を否定していることになります。

 

本当は悔しいのに、本当は自分の方が上手なのに、、

自分の方が価値ある人間なのに、、

 

という本音。

 

他人ありきの自己肯定感はすぐに崩れてしまうものなのです。

「誰かから褒められたから、自分凄い」となっても、その誰かがもしいなくなったら、自分の価値は低くなってしまうのでしょうか。

 

本来は逆なのです。

自分の価値を知り、隠さずに出したら、誰かが褒めてくれた。

 

こんな自分もいいよね、と思えないのは、本当の自分はまだまだこんなもんじゃない!という気持ちの表れだったりしませんか?

自分の理想と現実のギャップこそが、自己肯定感の低さに繋がっているのだと思います。

 

自分を受け入れてくれる存在の欠如

かっこよくない自分は嫌い→もっとスタイルがよくなりたい

何をやっても下手くそ→もっと上手になりたい

 

自分の現実を認め、理想に近づくためにはどうしたら良いんだろう。

といった挑戦は「自分が自分を承認するための努力」です。周りの誰かに認められたいから、ではなく「自分がどうありたいか」といった、自分の理想に近づくためです。

 

ですから、同じ努力でもマイナスを埋めるものか、それともより成長するためかという意味では、目的が違ってきます。

 

子供が何かに挑戦するときも同じことが言えます。

誰かに認められたくて頑張っているのか、それとも自分がそうなりたいから頑張っているのか、というのは同じようにみえて目的が全く違います。

 

いつまでもマイナスの部分を持っていると、どんなに努力をして自分の理想に近づけたとしても、大事な欲求が満たされていないのでまたマイナスに戻ってしまうのです。

 

ではそのマイナスな部分とは一体何でしょうか。

それこそがひとつ前の段階の欲求である「自分を受け入れてくれる存在」の欠如です。

 

そのままの自分を受け入れてくれる存在とは、一番身近な人でいうと親だったりお母さんということになります。

実際には、最も影響力のあるのがお母さんなのですが、受け取るのは「自分」ということになります。

 

どんなに言葉で伝えられても、最終的にどう受け取るのは自分というわけです。

 

【まとめ】自分をさらけ出したら自己肯定感は勝手に高まる

自己肯定感はそう簡単に高められるわけがない、ということが理解できてからは、自分を無理に変えようとはしなくなりました。

時には自分の力のなさに落ち込んだり、自分のダメなところばかりが目に付いたりすることもあります。しかし、だからこそ「もっと頑張ろう」と思う原動力になっているということも実感してきました。

 

誰かと比べて自分が劣ってると感じたとき、それでもなお努力している姿を誰よりも知っているのは、自分なんですよね。

無理やり肯定する必要もありません。できてないことを隠す必要もないのです。

むしろ、できないということを自分で認めることができたとき、このままでいいやと肩の荷が下りたとき、自己を肯定できるようになります。

 

-子育て, 子育てマインド